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凍る山道

Dsc06728

 先輩と僕が登り始めると直ぐに、道が凍っていて無理だから戻ってきたと言う女性に出くわした。この山に慣れていたので構わずに進むと、僕たちとは雲泥の差の装備をした幾人かが、やはりアイゼンがないと無理だと言って引き返して来た。僕たちが凍った道を避けて山をせり上がり、そしてまた道に戻りながら目的の池の淵にたどり着くと、思っていた通り池は結氷していた。その表面に恐々乗ってみるとピシピシッと音がして、ポケットに突っ込んでいた手が勢いよく飛び出した。踵で突いたりしながら淵を進み、いつもの東屋風の建物に近付くと、アベックが湯を沸かし珈琲をいれていた。居るよ、人が・・・と先輩は思わず声を漏らした。お決まりの挨拶をして二人を良く見ると、まるで山の雑誌から飛び出てきたような、そして、そのままファッションショーにでも行くような格好を見て、よくあの道を歩いてこられたと一瞬不思議に思った。二つあるテーブルの片方の椅子は濡れていたが、アベックと同じテーブルに着くのが嫌だったので、仕方なくもう片方にリュックを放り投げ、角の乾いた場所を探して座った。そして、さっきコンビニで買ってきた助六を出すと、相変わらず好きだな助六が、と先輩は笑った。遠くに人影を見つけた僕が、誰か来ますよ、と言うと、誰もついて来ていなかったけれどな、と先輩は首を傾げた。二人は入ってくると挨拶をして座れそうな場所を探して立ち止まった。僕は後から来た障害者の女性に、こっちへおいでと言って横へ手招きした。お母さんは、すみませんと言ってその斜め横に座った。自分のリュックからコンビニのむすびを娘に手渡すと、自分はタクアンと一緒に握ってきた白いむすびを食べ始めた。よく頑張ったね、と隣の娘さんに声をかけると、むすびを頬張りながらニコニコと笑った。足元は大丈夫でしたか、とお母さんに聞くと、道には雪は無かったと答えた。ああ、この道で来ましたね? と先輩が別のルートを言うと、そうです、と肯いた。僕は、ママゴトのように並べた道具を片付け始めたアベックも、そのルートで来たと合点した。二つ目のむすびを食べる娘に、お新香を食べないかとお母さんが差し出すと、いらない、と大きな声で答えた。僕よりも年上に見えるお母さんの服装を見て、あまりにも時代遅れだが、きっとこの人は若い頃に本格的に山をやったなと感じた。アベックは池の淵で仲良く写真を撮り終えて歩いていった。今朝、横浜の家を出て来たと言うその親子も、あまりの寒さにだろうか、食べ終わると直ぐに立ち上がった。気をつけてね、頑張るんだよ、と声をかけると、ハイと大きく返事をしてお母さんの姿が隠れるほどの背中を揺すって彼女は歩き始めた。
 その後、やはり雪の無い道で来たという夫婦と意気投合した僕たちは、一時間以上もその場で話しこんでいただろうか、寒さに限界を感じた僕は帰りましょうと先輩を促した。それからまた一時間近く歩いただろうか、突然登って来る人の気配がして驚いた。僕が前を行く先輩の肩越しに見ると、それはとっくに帰ったはずの赤い毛糸の帽子を被ったさっきのお母さんだった。顔を真っ赤に上気させ走るように近寄ってきて、道を間違えました、と言った。顔は焦り興奮していた。そして遠くから娘さんが歩いて追って来るのが見えた。大丈夫ですよ、心配しなくても、と言いながら僕が時計を見るともう四時を廻っていた。落ち着いて車を置いた登り口をもう一度言ってみてください、と先輩は聞いた。手前にあった谷を下りる道を見失ったのですね、と聞くと、そうですと目を見開いて答えた。先輩は時計を見て、まだ日没までには充分に時間があるから焦らないで、と繰り返した。山葵沢の道ですから安全です、下りだけですから急ぐことはありません、車が走る林道に出ますから、下手に登山道を探したりせず、そのまま林道を歩けば、必ず車を置いた場所に出ますから、そう先輩が話している間に、僕はリュックを下ろし救急袋の中から小さな懐中電灯を出して、谷間の道だから暗くなるけれど心配しなくても大丈夫だからね、と娘さんに渡した。お返しできないから、とお母さんは断ってきたが、捨てていいからと手に握らせた。
 別れた後、僕は先輩の背中を見るのが辛かった。そして、歩きながら話す政治や経済のことなどどうでもいいと思っていた。何故、一緒に下まで歩き、車で送ってあげようとしないのか、自分の車で来なかったことを後悔していた。僕が沈んだまま、そして谷道はもう真っ暗だろうと心配になったころ、僕たちは凍った登山道を外れ、来た時とは逆に山の背に向って斜面を登り始めた。すると突然、先輩が話し始めた。さっきの人はこの辺まで来て引き返したと思うよ、あの人は若い頃、山歩きをして山をよく知っている人だよ、ここまで来て、これから先の道は凍っていて、あの娘じゃ無理だと分かったんだよ、だから俺たちと一緒にとも言わずに夢中で引き返したんだよ、俺も一緒にと思ったが、あの子じゃ道を外れるのは無理だと思ったから、黙っていたんだ、と。
 そうだ、一歩間違えば谷へと滑り落ちるこの斜面を歩くのは、あの娘には無理だ、確かに先輩の言うとおりだと、僕はそれまでの思い上がりが恥ずかしくなってきた。
 天城隋道に下り立つと五時を過ぎ、辺りは暗くなっていた。久々の歩きにくわえ、道の無い斜面を歩いたりしたせいか、いつに無く疲れを感じた。今すぐにでも車に乗り家路に着きたかったが、先輩は看板の地図を見たりして、中々出発しようとしなかった。そして、いよいよ真っ暗になり字も見えなくなった頃、さて、そろそろあの二人も車を走らせた頃だな、これでいいだろう、と僕を見て車のエンジンをかけた。
 僕の全身は心地好い疲れで満たされてきていた。

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